東山魁夷記念一般財団法人

東山魁夷の生涯

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年譜

1908(明治41)年 誕生

7月8日 東山浩介・くにの次男として横浜に生まれる。
本名は東山新吉。本籍は東京都品川区南品川。
父・浩介は、船具商鈴木弥兵衛商店の横浜支店長であった。

1911(明治44)年 3歳 神戸転居

魁夷3歳の時、父・浩介が鈴木商店を辞め、新たに船具商東山商店を設立するため一家で神戸に転居。

1913(大正2)年 5歳 幼稚園

神戸市西出町の私立信成幼稚園に入園。担任の指導により、絵を描いたり物語を作って発表することに喜びを覚える。

1915(大正4)年 7歳 小学校入学

4月・神戸市立入江尋常小学校に入学。学習の合間に好んで絵を描く。

1921(大正10)年 13歳 旧制中学校入学

4月・兵庫県立第二神戸中学校(現・兵庫高等学校)入学。このころ、油絵道具一式を入手し技法書にて独学する。

1925(大正14)年 17歳 画家を目指す

夏・画家を目指すことに反対する父親を学校の担当教諭に説得してもらい「洋画は駄目だが日本画」ならばと東京美術学校(現・東京藝術大学)受験の許しを得る。

1926(大正15・昭和元)年 18歳 東京美術学校入学/信州への旅

4月・東京美術学校日本学科に入学。淀橋区上落合(現・新宿区)に下宿し通学。
夏・友人と信州を旅し、木曽川を遡って御嶽山に登る。初めて接した山国の雄大な自然に深い感銘を受ける。

—当時の私は、母性的な優しい慰めとは異なった精神的な強い支えを求めていたのであろう。山国の風景はそのような私の願い、祈りを象徴するかに思われた。そして、これもまた、今日に至るまで私の精神を導く大きな要素となったのである。(東山魁夷『日本の美を求めて/講談社学術文庫』)

1929(昭和4)年 21歳 第10回帝展入選

7月13日・長兄国三が肺結核にて死去。
最初の展覧会出品作《山国の秋》が第10回帝展に入選。
実家の家業の不振から仕送りを断り『少年倶楽部』『コドモノクニ』の挿絵を描いて自活するようになる。

1933(昭和8)年 25歳 ドイツ留学

東京芸術学校研究家修了。
8月・福岡県三池港から欧州ドイツ留学に向け国際汽船の貨物船にて出発
10月中旬・ベルリン到着。

1934(昭和9)年 26歳 欧州周遊

3月から7月にかけて欧州各地を旅行する。
ベルリン大学哲学科に入学し美術史を学ぶ。

1935(昭和10)年 27歳 帰国

ベルリン・オリンピック委員会の委嘱により、パンフレットの日本語訳を担当する。
9月・父の病気のため留学の期間1年を残して帰国。
実家の家業不振で、生活のために絵本の原画を描く。
また、上京し東京市品川区大井原町の瑞穂幼稚園に寄寓する。

1937(昭和12)年 29歳 初個展『東山魁夷 滞欧スケッチ展』開催

日独文化協会設立10周年記念事業「独逸国宝名作素描展覧会」の役員を委嘱される。
11月・初めての個展『東山魁夷 滞欧スケッチ展』(神戸市元町・鯉川筋神戸画廊)開催。滞欧中のスケッチ50点を展示する。

1938(昭和13)年 30歳 『東山魁夷 滞欧スケッチ展』東京開催

1月・『東山魁夷 滞欧スケッチ展』(銀座・松坂屋)99点展示。
(ドイツを描いた27点・イタリア23点・フランス13点・スイス7点・航海途上13点・古代ギリシャ壷の模写の10点の水彩スケッチ、並びに人形1点)

1940(昭和15)年 32歳 川崎すみと結婚

1月21日・川崎すみ(日本画家川崎小虎の長女)と結婚。
新居は東京都中野区鷺宮の借家。

1941(昭和16)年 33歳 個展『東山魁夷 旅の写生展』開催

2月・『東山魁夷 旅の写生展』(銀座・菊屋ギャラリー)四季の自然と風物を描いたスケッチ39点を展示。
夏・母くに脳溢血で倒れる。

1942(昭和17)年 34歳 父・浩介急逝

実家の負債整理が決着し神戸宅を引き払うも、8月25日父・浩介が心臓喘息のため急逝。

1943(昭和18)年 35歳 中国旅行

4月から5月にかけ中国の承徳17日間・北京15日間滞在し写生旅行する。京城に寄り帰国。

1944(昭和19)年 36歳 『東山魁夷 大陸写生展』開催

3月・『東山魁夷の大陸写生展』(銀座・菊屋ギャラリー)開催。
京城・承徳・北京の風景、人物、建物等のスケッチ30余点を展示。

1945(昭和20)年 37歳 召集と母・くに死去

7月・召集され千葉県の東部第83部隊に入隊するが、熊本の部隊に転属され迫撃兵二等兵として対戦車攻撃の訓練を受けているうちに終戦を迎える。9月4日召集解除。
11月6日・疎開療養中の母・くにが死去する。

1946(昭和21)年 38歳 弟・泰介死去

3月24日・療養中の弟・泰介が死去。これにより全ての肉親を失う。

1947(昭和22)年 39歳 《残照》日展特選

千葉県鹿野山・九十九谷に取材した《残照》が第三回日展の特選・政府買い上げとなり、風景画家として立つことを決意。

1948(昭和23)年 40歳 『東山魁夷 風景写生展』開催

11月・『東山魁夷 風景写生展』(日本橋・丸善画廊)を開催

1950(昭和25)年 42歳 『東山魁夷 個展』開催

7月・『東山魁夷 個展』(日本橋・丸善画廊)を開催

1953(昭和28)年 45歳 自宅新築と《夕映》制作

3月・千葉県市川市中山に、東京美術学校同窓の吉村順三設計による自宅を新築。
スイス大使館のために《夕映》を描く。

1954(昭和29)年 46歳 障壁画と月刊『新潮』表紙原画

3月・吉村順三設計の書院造建築がニューヨーク近代美術館に展示するに当たり「障壁画」を担当する。
(建物は展示終了後、フィレデルフィアの公園に移築され現存するも、魁夷の障壁画は汚損のため撤去された。)
月刊『新潮』の表紙原画を描く。(1955年12月号まで)

1955(昭和30)年 47歳 自宅画室増築

9月・自宅画室の増設が完成する。

1956(昭和31)年 48歳 《光昏》日本芸術院賞受賞

5月・前年の第11回日展出品作《光昏》により第12回日本芸術院賞を受賞する。

1959(昭和34)年 51歳 『東山魁夷 近作展TOKYO』開催

12月・『東山魁夷 近作展TOKYO』(彌生画廊)開催。12点を展示。

1960(昭和35)年 52歳 東宮御所大広間《日月四季図》完成

4月・宮内省から依頼されていた東宮御所(現・赤坂御所)大広間壁画《日月四季図》完成。

1961(昭和36)年 53歳 皇居吹上御所《萬緑新》制作・初回顧展『東山魁夷自選展』開催

5月・初めての回顧展『東山魁夷 自選展』開催。
11月・皇居吹上御所新築に当たり依頼受けていた《萬緑新》制作

1962(昭和37)年 54歳 北欧写生旅行

4月から7月にかけて、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドを巡る写生旅行を行なう。

1963(昭和38)年 55歳 『東山魁夷 北欧風景画展』『東山魁夷 近代作品展』開催

5月・『東山魁夷 北欧風景画展』(日本橋・高島屋)開催。前年北欧旅行に取材の25点を展示。
11月・『東山魁夷 近代作品展』(大丸神戸店)《残照》《道》などの戦後代表作15点を展示。

1966(昭和41)年 58歳 『作家のアトリエ・シリーズ(東山魁夷のアトリエ)』開催

宮内庁より依頼の皇居新宮殿障壁画制作のため日本各地の海岸の写生と下図作成にほぼ一年を費やす。
11月・『作家のアトリエ・シリーズ(東山魁夷のアトリエ)』(銀座・資生堂ギャラリー)開催

1968(昭和43)年 60歳 皇居新宮殿《朝明けの潮》完成

4月・皇居新宮殿の大壁画《朝明けの潮》完成(11月竣工式)。
11月・『東山魁夷 新宮殿壁画《朝明けの潮》下図/京洛四季』(銀座・松屋)開催

1969(昭和44)年 61歳 文化勲章受勲と欧州取材旅行、毎日芸術大賞受賞、東京国立美術館へ作品寄贈

1月・第10回毎日芸術大賞を受賞。
4月より9月にかけて夫妻でドイツ・オーストリアに取材旅行。
11月・文化勲章受勲および文化功労者に選ばれる。
東京国立近代美術館の新館開館にあわせ《道》《たにま》《残照》《木霊》《白夜光》《月篁》などや下図、合計50点を寄贈。

1970(昭和45)年 62歳 唐招提寺御影堂障壁画の制作打診さる

12月・日本経済新聞社円城寺社長を通じ唐招提寺御影堂の障壁画の制作を打診される。

1971(昭和46)年 63歳 唐招提寺御影堂障壁画の制作受諾

7月・唐招提寺御影堂の障壁画の制作受諾
11月・「東山魁夷展」(東京セントラル美術館)
12月・同上展(兵庫県立近代美術館)

1972(昭和47)年 64歳 唐招提寺研究と障壁画構想

一年を唐招提寺の研究と障壁画の構想に充てる。
3月・「東山魁夷展」(高知県郷土文化会館)開催。
4月・「東山魁夷—ドイツ・オーストリアの古都にて—」(福岡・玉屋ほか)
九州各地の海岸を訪れ取材

1973(昭和48)年 65歳 唐招提寺御影堂障壁画準備のため日本各地取材

1月より唐招提寺御影堂障壁画の準備のために日本各地の海岸と山地を取材する。真冬の青森の竜飛岬から三陸海岸、能登半島、城崎、青梅島を訪れる。さらに瀬戸内海を経て足摺岬、室戸岬などを巡り、初夏からは山へ、黒部渓谷、飛騨から上高地、御羽衣ダムから天生峠、さらには蔵王・三階ノ滝、日光・霧降滝などに次々に足を延ばした。
「東山魁夷展」(4月・山口県立山口博物館/5月・愛媛県立美術館/5月・天満屋岡山店/6月・広島県立美術館/8月・徳島県立郷土文化美術館/8月・香川県文化会館)開催
11月・「東山魁夷《白い馬の見える風景》展」(銀座・松屋ほか)

1975(昭和50)年 67歳 第一期障壁画《山雲》《濤声》奉納。《春の曙》制作

エリザベス女王訪日にあたり、昭和天皇から贈られる《春の曙》を制作。
5月・唐招提寺御影堂第一期障壁画《山雲》《濤声》完成。6月奉納。
5月・「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」(5月・日本橋・高島屋/5月・大阪高島屋/6月・名古屋・丸栄/6月・神戸大丸)開催。
10月から12月・パリとケルンにて個展「唐招提寺障壁画習作展」開催のため渡欧。
展覧会終了後、ドイツ南部の村で年末を過ごす。

1976(昭和51)年 68歳 中国訪問

4月・日本文化界代表団の一員として中国訪問。北京、西安、南京、揚州、上海を歴訪。その後代表団と別れて太湖、桂林を訪れ写生する。この年より1978年にかけて、3回にわたり中国を歴訪する。
8月・詩画集『コンコルド広場の椅子』の原画制作。西ドイツ大統領より功労大十字勲章を贈られる。
9月・「東山魁夷展」(9月・岩田屋伊勢丹/9月・石川県立美術館)開催。
9月・「東山魁夷 五十年の歩み展」(9月・大丸神戸店)

1977(昭和52)年 69歳 《青い谷》制作と訪仏

2月・パリ日本大使館公邸のため《青い谷》制作。
4月・「唐招提寺展」(パリ・プチパレ美術館)に《山雲》《濤声》展示にともない渡仏。
5月・「東山魁夷展」(東京渋谷・東急百貨店本店)開催。
8月・中国人民対外友好協会の招きで訪中し、神羅ウィグル自治区の古代遺跡写生。
10月・「東山魁夷 水墨スケッチによる中国の旅 展」(吉井画廊)開催。

1978(昭和53)年 70歳 パリ市長より金牌受贈

3月・「東山魁夷 《残照》から唐招提寺障壁画まで」(千葉県立美術館)開催。
5月・北京と瀋陽で「日本東山魁夷絵画展覧」開催に伴い3度訪中。洛陽、南京、揚州を歴訪後、黄山に登り写生。
11月・パリで「パリ詩画集『コンコルド広場の椅子』原画展」開催。シラク・パリ市長より金牌を贈られる。

1979(昭和54)年 71歳 「第二期障壁画」制作開始と訪独

三年にわたる中国での水墨画をもとに「第二期唐招提寺御影堂障壁画・襖絵42面」の構想をまとめ本制作に取り掛かる。
4月・「東山魁夷展」(4月・ベルリン会場/6月・ライプツィヒ会場)開催にともない訪独。
11月・「東山魁夷 近業展—水墨画への歩み 展」(11月・天満屋広島店/11月・天満屋岡山店)開催。

1980(昭和55)年 72歳 第2期障壁画完成・奉納

2月・唐招提寺御影堂第二期障壁画《黄山暁雲》《揚州薫風》《桂林月宵》完成、6月奉納
2月・「東山魁夷第二期唐招提寺御影堂障壁画展 水墨による中国山水」(2月・日本橋・三越美術館/3月・オリエンタル中村栄本店/4月・三越大阪支店/4月・大丸神戸店)開催。
7月から8月にかけてドイツ、オールトリアを取材旅行

1981(昭和56)年 73歳 鑑真和尚坐像厨子絵《瑞光》奉納

7月・唐招提寺鑑真和尚坐像厨子絵《瑞光》を奉納(翌年の開山忌で特別開扉)
8月・「東山魁夷展」(東京国立近代美術館)開催。

1982(昭和57)年 74歳 パリ個展などを開催

3月・「東山魁夷 唐招提寺全障壁画展」(日本橋・高島屋)開催。
4月・「東山魁夷展」(国立国際美術館)開催。
6月・「KAII HIGASHIYAMA Le paysage dans lequel parait un cheval blanc」(パリ・吉井画廊)開催。
7月・「東山魁夷 山河遍歴」(佐野美術館)開催。
11月・「東山魁夷 中国の旅展」(神戸市立博物館)開催。

1983(昭和58)年 75歳 個展により訪独

1月・「東山魁夷 私の本の世界・ビブリオテカ」(松屋銀座)開催。
4月・「東山魁夷〈樹々は語る〉展」(大丸大阪梅田店・大丸ミュージアムほか)開催。
5月より「ドイツ連邦共和国 東山魁夷展」(5月・ミュンヘン・フェルカークンデ美術館?7月・デッユセルドルフ・クンストハレ美術館/9月・ブレーメン・ユーバーゼー美術館)開催に伴い3回にわたって訪独。

1984(昭和59)年 76歳 西ドイツ美術院外国人会員選任

6月・西ドイツのプール・ル・メリット学術・芸術院の外国人委員に選任され、翌年6月ボン大学にて章を受ける。
7月・「東山魁夷 三つのシリーズ、白い馬の見える風景・窓〈ドイツオーストリアの旅より〉・コンコルド広場の椅子」(清春白樺美術館)開催。
11月・「山河遍歴—東山魁夷展 開館1周年記念」(長野県民文化会館)

1986(昭和61)年 78歳 日本芸術院第一部長に選任さる

6月・日本芸術院第一部長に選任される。(〜1989年)
7月・「東山魁夷展 風景遍歴」(北澤美術館)開催。
11月から12月にかけて日中文化交流協会代表団の団長として中国を訪問。

1987(昭和62)年 79歳 長野県へ家蔵の自作を一括寄贈決定

8月・長野県へ加増の自作を一括して寄贈することが決定。
9月・本制作、習作スケッチ、下図等500余点の寄贈作品目録を贈呈。

1988(昭和63)年 80歳 千葉県市川市名誉市民

5月・「東山魁夷展」(5月・京都市美術館/7月・名古屋市美術館/8月・兵庫県立近代美術館)開催。
11月・「東山魁夷展 唐招提寺への道 市川の作家展シリーズⅡ」(11月・市川市文化会館展示室)開催。
12月・市川市より名誉市民の称号を受ける。

1989(昭和64・平成元)年 81歳 「東山魁夷展」欧州開催

2月・「東山魁夷展 Higashiyama Kaii Landschuaften」(2月・ベルリン国立東洋美術館ほかハンブルグ、ウィーンにて)開催とこれに伴い3回に渡り渡欧。
6月・オーストリア造形芸術家協会、ウィーン・キュンストラーハウス名誉会員に推挙され、西ドイツ・バイエルン州功労勲章を受章。

1990(平成2)年 82歳 長野県信濃美術館 東山魁夷館開館

4月・長野県信濃美術館(現・長野県立美術館)に併設して東山魁夷館開館と、開館に際し、「開館記念 寄贈作品による画家の歩み 東山魁夷展」開催。
9月・平成天皇即位に伴う大嘗祭で皇居豊明殿を飾る《悠紀地方風俗歌屏風》完成。11月の大嘗祭にて披露される。

1991(平成3)年 83歳 「東山魁夷〈我が旅の道〉展」開催

9月・「東山魁夷〈我が旅の道〉展」(9月・大丸神戸/9月・大丸ミュージアムKYOTO/10月・大丸ミュージアム梅田)開催。

1992(平成4)年 84歳 ユネスコ・ピカソ金メダルを受ける

2月・長野県東筑摩郡の明科高等学校に東山魁夷文学碑が建立される。
銘文「次代を担う皆さんは 安曇野の美しさを 長く伝えてくださるよう お願いいたします 平成四年二月 東山魁夷」
11月・ユネスコによる芸術振興の促進に寄与した貢献により、ユネスコ・ピカソ金メダルを贈られる。

1993(平成5)年 85歳 「東山魁夷 青の世界展」開催

9月・「東山魁夷 青の世界展」(9月・北海道立近代美術館/10月・松坂屋美術館/11月・姫路市立美術館)開催。

1994(平成6)年 86歳 「東山魁夷アートギャラリー」開館

7月・長野県への自作寄贈に対し信濃毎日新聞社より第1回信毎賞を贈られる。
10月・「東山魁夷—信州を描く 東山魁夷館開館五周年記念」(長野県信濃美術館 東山魁夷館)開催。
11月・市川市生涯学習センター内に「東山魁夷アートギャラリー」開館。市川市に寄贈した版画・複製画等を常設展示。(2005年に閉館し市川市東山魁夷記念館が開館)

1995(平成7)年 87歳「東山魁夷心の旅路館」開館

7月・「東山魁夷展 米寿記念」(7月・日本橋高島屋八階ホール/9月・高島屋京都店グランドホール/10月・長野県信濃美術館 東山魁夷館)開催。
8月・長野県山口村(現・岐阜県中津川市)に「東山魁夷 心の旅路館」開館。村へ寄贈した版画・複製画等を常設展示。

1996(平成8)年 88歳 長野県内の全高等学校に画集・展覧会カタログ贈呈

2月・長野県内の全高等学校106校に、近年刊行の画集・展覧会カタログを贈呈。

1997(平成9)年 89歳 「東山魁夷 私の森」展 開催

3月・「東山魁夷 私の森」展(3月・大丸ミュージアムKOBE/4月・福岡・大丸)開催。

1998(平成10)年 90歳 「東山魁夷展」開催

5月・「東山魁夷展」(5月・富山県立近代美術館/6月・千葉市美術館)開催。

1999(平成11)年 逝去 5月6日・享年90歳

5月6日(鑑真和上の入寂と同日)東京築地・聖路加病院にて死去。享年90歳、従三位 勲一等瑞宝章を受勲。
7月・東山魁夷館を望む長野市・善光寺大本願花岡平霊園に葬られる。