静唱
《静唱》1981(昭和56)年制作・東山魁夷73歳
紙本・彩色 140.0cm×203.0cm/長野県立美術館・東山魁夷館 蔵
風景と、私との二重奏
樹々は生きている。そして、常に私たちに語りかけている。しかし、それは耳に聞こえてくる声ではない。私たちの心が澄んでいるとき、心に響いてくる声である。樹々と私たちの間に対話が交わされるとき、樹々も人間も、この地上に生命を与えられて、共に生きているもの同士との想いが湧き上がってくる。
自然と人間とが互いに対立するものでなく、その根に深い繋がりを持って共存していることを、樹々は常に私たちに語っている。自然を大切にすることは、人間を大切にすることである。技術文明がどんなに進んでも、所詮、人間は自然の中で生かされている宿命を持つ生命であるといえよう。
私たちは、一年を通じて常緑に見える樹々の姿を永遠の象徴として祝福する。しかし、また、春に芽吹き、夏に繁り、秋に紅葉し、冬に葉を落とし、再び巡り来る春に芽を開く樹々の趣に、私は生命のあかしを感じる場合が多い。私たちが樹々に対して持つ親しみ、そして、それを見ての心のやすらぎや喜びは、樹々と人間との関わり合いの深さを示すものである。
『樹々は語る展 図録/日本経済新聞社』
晩秋の霧深い朝でした。公園には殆ど人影も見えず。丈高いポプラ並木が、その姿を豊かな水面に映して立ち並んでいました。
湿った落ち葉を踏みしめながら、水辺の道を歩いていると、ポプラの倒影が、かすかに揺れています。それを眺めている私の心に敬虔な音楽が静かに響いてくるように感じました。
垂直と水平線、あるいは実像とその影の対比として、この構図を作ったのですが、「静唱」と題したこの作品は、私の心の深いところで奏でられている風景と、私との二重奏なのでしょうか。
『東山魁夷館所蔵作品集Ⅰ/信濃新聞社』