窓
《窓》1971(昭和46)年制作・東山魁夷63歳
紙本・彩色 130.0cm×195.0cm/長野県立美術館・東山魁夷館 蔵
窓々の合唱
道路に面した一階の窓の下には「さあ、お掛けなさい」といわんばかりに石のベンチが壁についている。
私達はそのベンチに腰かけて、一休みすることにした。家の中には、いったい人が住んでいるのかと疑うくらい、ひっそりと静まり返っている。しかし、テラスの花も、窓辺のベンチも、外を通る人々に、親しい挨拶を送っているように見え、温かいものが伝わってくるように感じる。
『ローデンブルク 馬車よ、ゆっくり走れドイツ・オーストリア紀行/新潮社』)
昭和44年、ドイツ、オーストリアの古都を四ヶ月半にわたって旅行しました。その旅で私の心を捉えたのは、古い家々の壁と窓でした。長い年月を経た壁の色、そこに設けられた小さな窓の素朴な趣。窓の下に何気なく造られた粗末なベンチ。それだけで充分絵になるテーマです。
この旅でのスケッチの中から帰国して二年後の日展への出品作として描いたものです。日本画の場合、外国の建築を題材にするのは絵の具の性質上いろいろと不適当とも考えられるのですが、油絵と違って鉱物から作る絵の具を膠(にかわ)の溶液で溶いて、画面に塗るという日本画の技法で試みることも、又、興味深いと思いました。
『東山魁夷館所蔵作品集Ⅰ/信濃新聞社』
「窓を描こう」と、私は思った。ドイツ・オーストリアの旅は、北海の岸辺からティロルの山々に至る自然と、よく保存された古い町々を見ることが目的であった。そのどちらにも美しく保とうとする「人間」の心が籠っていて、私の胸に響いた。
大きな都会の、大きな家の窓よりも、小さな街の、小さな窓に温かみがあり、親しみを感じる小さな町の、小さな窓々は、溢れるように花をつけ、みんなで心を揃えて見事な合唱をしているように見えた。時には敬虔なオラトリオを、また、明るい世俗的なカンタータを、あるいは、素朴なマドリガルを、古びた壁の色、唐草模様の看板、古風な街燈は窓々の合唱の優れた伴奏者であった。
広場の泉は合唱の合間に、独り低く歌っていた「ここに幸あり、われに想え」と、人は大きな街を造り、調和の悪い建物を並べ、けばけばしい広告で壁を被い、車を氾濫させ、騒々しい生活を築いてゆく、そこで何を得たのだろうか、失ったものは清らかな空、ゆとりのある生活、温かい心。
「古い小さな町の窓々の合唱を描こう」と、私は心に決めた「その伴奏者をも含めて——」私があの町を離れ去る時、石畳の道の両側で、窓はささやいていた。
〝Aut Wiedersehen! Aut Wiedersehen! (さようなら)〟
こうして、数々のスケッチが、都門を出てゆく私の画囊を満たしていた。
遠く離れた今も、私の心の底にあの窓々の合唱が聴こえている。
『東山魁夷画文集/新潮社』